先日、参加していた勉強会のテーマが「企画書」だったことから、企画書について考えさせられた。
そのとき、僕が思ったことは、企画書がビジネスにおいて重要な役割を担っているということだ。
たとえば、僕がこのエッセイを書いているスターバックスも、企画書とは切っても切れない縁で結ばれているのである。
「企画書とスターバックス」。
なかなか結びつかない両者がどのような関係で結ばれているのか、そのことについてちょっとお話しよう。
スターバックスは、有名なコーヒーショップを展開している企業である。
事実上のスターバックスの創業者は、ハワード・シュルツという人である。
元々、スターバックスという会社がコーヒー卸ビジネスをしていたが、そこにハワードが入社し、 のちに彼がコーヒーショップビジネスを企画、スターバックスではできないとなったため、 退社して自分でイル・ジョルナーレという会社を設立。
コーヒーショップを展開し、元々のスターバックスを買収することになり、現在のスターバックスが出来上がったというわけだ。
そのハワード・シュルツがイル・ジョルナーレを始めた時から、スターバックスと企画書の縁が始まった。
そもそも、スターバックス(当時はイル・ジョルナーレ)は、喫茶店ビジネスがメインの企業である。
また、ほとんどの店舗は直営で、空港や大学などの営業権が必要なところのみ、営業権を持つ企業とライセンス契約を結び出店することになっている。
そのため、スターバックスは典型的な小売業であり、資本集約型のビジネスなのである。
このことは、自社所有の店舗を増やす場合、建設費や在庫費、リース料などを出店コストとして資金を投入しなければならないということを意味している。
そして、大きな拡大戦略を達成するためには、ものすごい金額の資本が必要であるということだ。
そのために、株式公開前の初期のスターバックスでは、膨大な資金需要があったのだ。
それは、1店舗あたり40万ドル(約5000万円)から50万ドル(約6000万ドル)程度と想定される出店コストを負担しなければならなかったからだ。
そして、その資金需要に対する解決策として、ハワード・シュルツは投資家からの出資というかたちで資金調達を試みた。
そのときに活用したのが企画書だったというわけなのである。
ハワードは、最初の会社であるイル・ジョルナーレを設立する際、新しい会社の企画書を書きあげ、設立資金を調達しようと考えた。
つまり、新企業を設立するときに必要な設立資金を調達しようとしたのである。
その企画書には、イタリアのエスプレッソ・バーでの体験をアメリカで再現し、50店舗まで拡大する計画が書かれていた。
このことは、ハワードが会社設立当初から、小規模企業ではなく大企業を目指していたことを示している。
しかし、50店舗まで拡大する前に、実際のサービスと内容を見てもらう必要があるため、店を1軒開く必要があった。
そのために必要な元手資本は40万ドル。
彼は企画書を持ってたくさんの人と会い、結局、スターバックス社とロン・マーゴリスという人物が主体となって40万ドルが集まったのだった。
幸い、40万ドルが集まったが、今後さらにエスプレッソ・バーを8店舗以上オープンして、アイデアが通用することを証明するためには、125万ドルの資金が必要だったのだ。
それからハワードは大変な苦労をしながらも、資金調達に奔走した。
投資家を探すためにあらゆるつてを頼って片端から電話をかけたり、 100回近く趣旨説明をしたりして、結局、1年にわたって資金集めに奔走し、242人に呼びかけて217人に断られたのである。
その甲斐もあってか、30人の投資家から元手資金を集めて165万ドルの資金を集めることができたのだ。
それから、スターバックス社が売却するとの知らせを受けたハワード・シュルツは買収することを決意。
そこでさらに、そのための資金として約400万ドルが必要となった。
しかし、その時には、以前努力した甲斐もあったし、実際にイル・ジョルナーレが稼働しており、 実績として成果を見せることができていたので、その資金は最初に投資した投資家たちから資金が集まり数週間のうちに必要額であった380万ドルが集まった。
そして、そこでも企画書の存在がある。
実はスターバックスを買収する際、ハワード・シュルツは100ページの事業計画書、つまりは企画書を作って口説いていったのである。
このようにスターバックスでは、その草創期において、企画書が重要な役割を担っていたことがわかる。
企画書は、単なる紙の集まりなのかもしれない。
しかし、企画書のなかには、書いた人の夢が描かれていたり、未来の1,000億円企業の種があったり、人々の生活を一変させることが描かれていたりすることもあるのである。
企画書。
それは、書いた人の夢や希望が詰まった、とても魅力的な紙なのだ。